外付けの海馬

 

途中で書くのをやめてしまったものを載せます。そのうち下げたり上げたりシャトルランするなどしてエントリーにしたいです。当たり前に重複はあるとします。

 

3/3

今日はもしかしたら消化できるかもと思って、フリースの袖をちょっとだけ食べた。わたしの嘘みたいに終わってる臓物を巡らされる繊維のことを考えたらすこしだけ気の毒である。煙草を吸う時くらいしか見上げない空は、夜明けのピンク色だった。灰皿があるベランダに面した車道は住宅街の癖してろくすっぽ人が通らない、吸い込まれてしまえればいいのにと思うコンクリートはいつだって、さあ。

わたしの世界は限定的な色で出来ている。気付いた時には既にであった。インプットが出来ていても意図的にアウトプットしないのであればそれはないのと同じでしょ。おとなが嘯く結果論はしぶとく根付いている訳で、あんなもの偏向だよな。どれだけその対からやわらかくあくまでも甘ったるく許容しようとしたって、対であるんだから、思想は思想としてのみしか意味を成さない。

最近はマジの他人が傷付くことってどうでもいいなと改めて思った。わたしはマジの他人に傷付けられてばかりの人生で、まあその分お返ししてやろうとは思わないしマジの他人にとっても良き他人でいたいとは思うけど。この狭いキャパシティを割くなら好きなひとたちだけでいたい。こんな感情が何の腹の足しになどならなくとも、わたしはわたし自身のエゴイズムとしてそうでありたい。

だからさ、入ってこないで欲しいんだ。

精神の安定はパイプの数である。人間は社会のなかで育まれているから、自分が所属するコミュニティの数だけ自分があってパイプがある。自分がカテゴライズされることは即ち他者をカテゴライズすることであり、名前をつけられることは承認である。

 

3/4

わたしが悲しいだとか、何かをおぼえることをわたしだけの為にさせてよ。

仲が良いと思い込んでいる人間に何かを笑われて、わたしはそれに傷付く程にかわゆくは生きてないからさ、笑うし心の底からそうであるのだけども。違うの、それが嫌だとは言ってないんだよな。君の笑顔が好きでこうやって笑っている訳だし。

 

3/6

仕事が終わった帰り道で自分の嫌いなところを数えていた。今はベランダでお酒を飲みながら今日の反省会をしている。アルコールで蕩けた脳がヒステリックに叫ぶだけなので、まあ建設性なぞがある訳ない。いっぱいの声が責めてくる、他人も自分もごったになって、美徳を知らない癖に罵倒がお上手で。違うんだよな。何も知らないから罵倒だけ上手くなっちゃったのか。可哀想に。

こう在れたらという姿と、こう在らないと自分を嫌いになってしまうという姿があまりにも乖離している。

頭がおかしいと真っ向から言われたことがある。わたしの愚鈍な頭では瞬時に言葉の裏を舐れないので多分あの時は微笑んで見せたのかもしれない。今思えばあれは純粋な恐怖からであったんだろう。申し訳ないことをしたな、どんなわたしがちょうど君に沿うのかを先に教えてくれればもっと良かったんだけど。

手を洗いながら鏡を覗き込む。不自然に艶が消えた睫毛にラメが輝いている時、唇の端から蛍光ピンクが滲んでいる時、瞳の縁の産毛がバーガンディを纏っている時。わたしはどうしようもなく情けない気持ちになる。何も意味が無いことをするのはきっと十八番だ。

一般社会の枠組みのなかですこやかに眠る夢想をして、やっぱりこれも意味が無いな。病的妄想の紡ぐベッドはいちばんやわらかくていつか殺してしまいたい。

 

3/17

今日はただ家に帰ることがすごく辛かった。何もせずに電車に揺られて、決まった駅を降りれば足を動かすだけの作業なのに。家に帰ることが嫌だった訳ではない、わたしの帰る場所はここ以外にない。同時にここはわたしが帰る場所ではないとも思うけれど。

単純作業の裏側でいつもヒステリーが喚いている。反省と後悔はフィードバックがあって初めて意味を成すものだと薄々知っているので、というかヒステリックはいつだってロジカルの逆側にいるからそもそもとして全部意味がない。だからわたしは被害妄想をわたしにとっての真実としてずっと咀嚼している。嚥下することはない、たぶんチューイングみたいなもの。

今日も人間はみんな機嫌が悪くて空気がどんよりと淀んでいた。他者の行動を機嫌でどうこうしようとするムーブは全部間違っていると思うんだけど、複合的同調圧力の前に間違っているという指摘ですらどうこうされてしまいそうだった。いつもそう。そうして前述の加味を問わずともわたしの立ち回りは全部間違っていた。言動も、意識の向ける先も、瞳の色も、正解を知らないけど間違いということだけは確かだった。これもいつもそう。

わたしはいつも最悪だけど、最悪じゃなくなりたい。だから何かを他者に投影することを許されたくて、してみる。でも投影した何かに対する感情が別次元でぐちゃりと潰れる時がある。自己嫌悪の延長線上にいさせてしまってごめん。その潰れた何かは確かに好きであるのに、勝手に線を引いたせいで捨ててしまえるんじゃないかなと思う。捨てたら泣く癖にね。泣いたこともある癖に、摘み上げてゴミ箱の上を彷徨う作業をやめられない。

いつか完全にその作業を完遂できたらわたしは何者になるのだろう。何者かになりたかった、ずっと名前が欲しかった。それと同時にわたしは忘却が欲しくてたまらないのだ。

 

5/10

言われたことはやるよな、もうなんか別にどうでもいいしさ。ただ言われないとやらないので、言われてもやってんのかな?わかんなくなってきた。全部泣きながらでもどうでもいいと思われてるんだから、わたしもどうでもいいなと思って、自分のポリシーだけを守っている。まあそのちっぽけなポリシーを守るためにもっと大事なものをガリガリと削っている訳であるけど。

ご飯をお腹いっぱい食べたあと絶対吐きたくなるように、ふとした瞬間の思い出にはいつも悪口がつきものだ。悪口を言われるべき存在なので。そういえば人間って毎日は泣かないらしいですね。最近知った。ライフハックかな?別にいつもこの調子なので人生は良くなりも悪くなりもしていない。そもそもゴミ箱に緩いカーブを描いて落ちて行くだけの生ならば、そういう指標すらないんだから。ただたまにわたしなんか持て余す幸福があって、そのあとは大抵悪い気分になる。まあほら、悪口、どうせ言われてるしさ。どうしようもなく落ち込むのは人間あるあるとしてもなんか幅がデカすぎる気がする。ひとに迷惑をかけたくないのにそうであることでしか自己表現ができないんじゃないかとすら思う。あ、キモ!自傷自傷としてのみであれよ。自己弁護をさせていただくのであれば、ぐちゃぐちゃになったまま指先を離れたそれが思ったよりわるいこだったんだ。歪だ。そんな形をしたかった訳じゃなくて、そんな顔をさせたかった訳じゃない。書いててくだらなすぎて笑けてきたな。縄を持ち出す日々もそのうち来る。だからもう知らん。

ままならない、全部。

帰る場所はここではない。ホームがないまま生きている。わたしはいつだって全部投げ出せるようにしていたい。だって今更骨を埋める場所ができちゃったって困るし、埋めたい場所じゃなかったらなんの意味も無くない?許容ってそんな都合のいいぬるま湯じゃないでしょ。

骨、カップラーメンとかになんないかな。宝石になんかなりたくないので。そういう最新技術が出来たら教えてください。

 

5/11

羨望だけが苦しい。ずっとわたしは何者にもなれないでいて、羨んだところでどうにもならないのに。ゴミ箱の底から見上げる風景はいつだって煌びやかな気がした。少なくともわたしにとっては喉から手が出る程に、本当に羨ましかった。

人間誰しも呼吸がうまくいかないように、毎日を泣いて過ごしている。理由なんかとうに忘れてしまった。ままならないことで泣いて、全てを吐き戻して、帰る日常もなければ場所もないのに気持ち悪い顔してニタニタと笑っている。再現度の低い真似事だけど、みんなこういう顔をして笑うからそういうものだと思っている。ここまで気持ち悪くはないにせよ、陰口を連ねた口をニイッと引き上げて、わたしが何も知らないと勘違いしているんだな。全部見えてるよ。全部というより嫌悪。無理させてごめんね。

ぐちゃぐちゃになったまま指先を離れたそれが思ったよりわるいこだったんだ。歪だ。そんな形をしたかった訳じゃなくて、そんな顔をさせたかった訳じゃない。

 

5/12

口にしようとした言葉を舌先で遊ばせて、なかったことにする。顔色を伺うなんて可愛らしさは生来持ち合わせていないので、これはただのわたしのためのことだった。

たまに君の人生の少しだけ先を考える。わたしのエゴのなかでだけだから許されたい。君の苦しみの上に描くそれはテンプレートを歪に模していて、わたしの目に映る姿と同じくして綺麗だった。輝かしかったようにも思えた。少しだけリンクした、わたしのそれはくすみとも挑みともとれない色をしていた。不確定なのはただ単に形容するまでの意味を持ち得なかっただけである。

君がキモいという事柄に対してキモいと思うことができなかった。言わなかったけれど、それがわたしの大切にしているなにかの残滓であったりもした。全てがぴったり同じになりたい訳ではない。でもぴったりでいたいところがいられない。

 

5/16

17歳も22歳も結局変わらないままであった。違うとすればそれは時間という経過のみであって、数字だけの蓄積だ。しかしこの劣化ともとれる5年を、わたしは今やっと、歳月そのものとして飲み込めそうになっている。

この5年、何も変わらなかった。精神は波を描きつつも以前と遜色のない状態には戻らない。薬はいくら飲んでも効かない。自傷は頻度が減りこそすれどやめられない。即物的な幸せはセックスと食事でしか得られない。社会生活にはいつまで経っても戻れない。

でも、友人も変わらなかった、ずっといてくれたのだと思いたい。

 

日付不明

死はわたしにとってだけの救済ではなく、周囲の人間が救われるための

 

以上です。