エゴイズムをシロップで希釈

 

ずっと外が怖かった。外が怖すぎて出られなかった時期があった。明けない夜を探して秒針を追って、明けゆく空に願いを溶かしていた日々が、確かにわたしにはあったのだ。

明けない夜はないという言葉は、励ましの一節として使われがちだ。夜は昏くてなんも見えなくて怖いから。先行き不安の一種のメタファーとして使われるのはまあ、かなり妥当であるよな。

 

でもわたしは朝が怖かった。

 

朝が来る、人々が起きてくる、人々はルーティンを飲み込む、ルーティンとは即ち歯車だ、歯車が動く音がする、社会は歯車だ。朝を恐れる理由は単純である。わたしはルーティンに乗れなかった。顔も知らない隣人は歯車のそこに組み込まれて、しかしわたしは違った。それだけだ。


怖い。怖いのだ。


外は戦場だ。他の人間にとってはもう少し位は優しいものであったのかもしれないけど。そんなことないか。まあわたしにとっては死を孕む戦場で、向かうには何かが無いといけなかった。それにわたしは過剰な程に盛り立てられた化粧を選んだ。というかわたしにとってはそれしかなかったのだ。他人との関わりを恐れたわたしにとって他を害する武器などは意味を持たず、最初で最後の防具としてはそれしかない。美醜は他人からの評価をかなり左右する。わたしは幼少期から可愛くない子供だったのでそれを知っていた。有り体に言ってしまえばどう足掻いてもブスな子供であったので、美しくないことがどうマイナスに作用するのかわかっていた。この辺は自意識が宿ると同時に知覚していた。今更傷つきもしませんで。

しかしながら外は残酷にきらびやかであった。ちょ、ギリ社会復帰初日のつもりなんだけどこれはちょっとやりすぎじゃない?(笑)…一般的にはこういうもんなの?そうかァ…となった。怖。

朝は相変わらず怖かった。でも逆に言えば怖くないこともあんまりなかったんだな。防具は死ぬほど否定された。それはまあちょっとわかってたので戯けるふりをして回避してみた。ピエロとして立ち回ることは何故か上手かった。気持ちよかったのかも、ピエロ。朝を朝として嚥下してた時期もそうだった気がするし。昏いとこから正気じゃない顔して出てきてみれば、そういうものということになった。そういうものであるわたしも受け入れてくれる寛容さがあったし。ありがて〜〜。そういえばわたしの化粧、ピエロに似てたな。そういうこと?

わたしは普通だった。いつからか朝が怖かった。ピエロになった日があった。それが気持ちよかった。そのままぐちゃぐちゃに腐った日々があって、迷惑をかけて、正気に戻ったりして。正気ってどこ?やっぱりそういうこと?


あの日突然話しかけてきた人間も、イレギュラーなメイクであった。あのひとも怖かったのかもしれない。外は怖いね。怖いなかで踏み出したその1歩を導いたのがあのアイラインだったのかもしれない。或いは抵抗。外は強制力がある。同調圧力で首を絞められて、掠り声がそういう形をしているのかも。まあ結局全部妄想であるので。そうでなければ良いし、むしろそうじゃない方が良いし、でもそうであったら。その時わたしは、誰か知らない人間のアイラインの為に泣いてしまうと思う。別に誰かは泣かれたくなんかないんだけど。けどそれは自己満足で、過去のわたしのために泣くことと同意だ。怖かったよな。申し訳ないけれど今も怖いよ。タイルの模様ばかり追って暮らしている。そうじゃなくなってる方が君にとってはいいよな。わたしにとってだってそうだ。でも、意味がわからず鏡を殴って恐れていた君はもう居ない。わたしはわたしのイレギュラーを包括的に愛している。ねえ、

 

誰かがわたしのことを全くまともではないと言った。誰かがわたしのことをまともではない風に偽っていると言った。正解とかはずっとわかんないなって思う。普通に知らんし。けれど、どちらの話もそうなのかもしれないねと飲み込めたのは最近のことだ。自分が誰かに評されることを飲み込めたのだ。これはきっと歯車の始まりだ。この歯車はうつくしいメタファーだ。


ぱっちりと覚醒したこの朝に怯えながらイレギュラーを描いている。手鏡は可愛くないわたしを映している。わたしは社会的秩序にしっかりと反していた。非常識であった。けど紛うことなく誠実であった。そうしてわたしの思想は、怖がりを愛したいような気まぐれでいた。

 

追伸:ピエロになりきれなかったつまんないわたしを怒って諭してくれたあの日々はありがとうね。