うつくしい歪んだ棺

 

君の被害者面に傷をつけたいと思いながら生きている。それは数年前もそうで数日前もそうだった。対象を変えて、事由を変えて、おかしな話なのだけどいつだって、わたしがそうであるように被害者の顔をしているから。君は、君たちは。

自分が感情依存型の人間であると気付いたのは、情けないことについ最近の話だった。こんな風に毎日を生きているので他者からはどう捉えられるのかは知らないが「案外乙女だよね」「好きな人の話してる時楽しそう」と言われた。それがギャップという範疇で収まればなんだって物事は綺麗な風に見えるのだけど、わたしにとっては絶望であった。

自己肯定感が低いといえば何となく良さげに聴こえても、わたしは他者からの評価でしかたぶん生きられずにいる。しかも厄介なのは他者がどんな評価を下したとて、それが少しでもプラスに振れているのであれば信じられないのだ。仕方がない。わたしはいつだって最悪を体現して生きていた。賢くなくて、顔が悪くて、身体が使えない女を誰が愛すんだろうとぼんやりと思う。男から見たわたしも女から見たわたしも全て同じだ。セクシャリティだとか性自認だとか、全てを越えて、お前を誰も愛さない。

わたしが友人を好きな理由は沢山あるが、そのうちのひとつに「わたしのことを物質的消費しないでいてくれる」というものがある。かわいそうなくらい拡大してしまった自意識の傲慢さで生きている自分にとっては友人が救いであった。いいことだ。一生友人でいてくれ、大好き。

可愛いと言われる時、大抵その向こうに消費を見ている。結局友人以外の人間に於いて自分はツールでしかないのだと思う。その癖してそんなことないよってか弱い顔をするのが許せない。本当は誰でもいいのにそうじゃないふりをして、甘言を吐いて揺さぶって、その甘言に揺さぶられてしまうわたしだって悪いのだけども。いつだって自分に都合の悪い動き方をしたら期待外れだとその目を曇らせてこちらが悪いと責め立てるのに。責め立てるという行為は気持ちがいいよな。自分の正常性の証明であるんだもん、一方的に頭のおかしいわたしを詰るだけでドバドバ快楽物質が得られちゃうんだからお手軽だ。今この瞬間こうしてこんな文章を構成していることが気持ち悪いように、我々は本当のところ同じ穴の狢である。自分だけが安全地帯にいるなんて決して思わない方がいい。

ほらね、被害者面だけしているお前もきっと違うでしょ?

今は大人しく揺さぶられていてあげるよ。最後まで君の完璧なオナホールでいてあげる。君のためでもあるし、わたしのためでもある。プラスにならないのに他人の評価からしか悦を得られないから、わたしの世界の中でくらいはかわいく敬虔でいたいから、偶像を共有しておこうよ。君のご自慢のその頬に引っ掻き傷なんかひとつも残さないでいるって約束する。その日が来たら君はわたしのことを異常者として看做せばいい、そうすればタチの悪いエンターテインメントに巻き込まれただけだって日常に戻れるんだから。いいよな、戻った日常がこんなにも煌びやかでさ!わたしの世界はずっと悪口だけで埋まってるのに。でも君がそうでいたいって言うんだからさ、いいよ。本当に、特別だよ。

蹂躙されるだけの死体としてわたしは生きている。呪詛だけを吐いている。ずっと閉じた棺桶のなかで笑っているから、今まででがそうだったようにこれからも。