わたしは摂食障害にならない

 

満たされないわたしが擬似的に求めたのは食事だった。寂しいの隙間に意味の無い食物を詰め込んで、そうしてなんとなく形を保っているつもりであった。他者のそれと比較して強いと思しき欲求を同じ形だと思いこませる為に、何も持たない身にとっては咀嚼と嚥下しか方法がなかったのだ。

太っている自分が嫌になる。ぶくぶくと、ぶよぶよと、汚い形をしていて。鏡の前に立つ度に責められている気持ちになる。わたしはわたし自身の為のたったひとつの存在であって、同時に他者の評価からでしかわたしとして居られないのを知っていた。ずっと苦しかった。何においても選別される側であるのなら入れ物が綺麗であるに越したことはない。どうせ中身が汚物なのだから、ラッピングくらいは丁寧にしておかないと、自身を包括する全てのアレソレの色々な条件にとってさ。ずっとこれからも苦しい。

ほんの一瞬の充足と脳裏に焼きつく罪悪感。便器を面前にして咳き込む瞬間は惨めだ。昼夜を問わず、わたしはジャッジされている、だから指先を泳がす。喉の奥の方へ。全てが意味を成さないのなら減っていく数字くらいは信じさせて欲しかった。気持ちよくなんかなかったよ。自己評価が正当性を失ったその日から。

いつかお腹いっぱいに何も考えずご飯を食べたい。食事が食事としての悦だけを持っているなら、わたしもわたしとしてだけの何かを抱えていけるはずであるんだ。

その為にも今は食べない方がいいと思うな。個人的にはね。