ハロー、空中。

 

わたしにとってのおしゃれは別にたのしいことではなかった。化粧も、髪型も、服装も、そこそこであればよいのだ。それらは世間様を渡り歩いていく防御の術でしかないから。

自身がかわいくない顔立ちをしていることもぽっちゃりに分類される体型であることも実は知っている。物心ついた頃から今の今まで、何度も悪気のない言葉に傷ついた。頭のてっぺんから爪先、内臓をひっくり返して隅々まで検分したところで、醜い。だから自分を守る為の武器として飾り立てることを選んだ。過剰な程に。そうしたらまた別ベクトルに嘲笑される羽目になったけれど、どうせ負け戦なら正攻法で挑んでいくよりずっとずっとマシだと思った。かわいくないひねくれた女なのでやり口が汚くてずる賢いの。

過剰装飾がデフォルトになって数年。自分の見た目だけでなく考え方も異常だということにすっかり気付いてしまっていた。異常者と健常者が同じレールを歩ける訳があるまい。かわいいはいつまで経ってもわたしにとっての過程でしかなかったし、他人が投げかけるそれにはちゃんと性欲を見ていた。本当に欲しいものは手に入らない、ねじ曲がりきったこの汚らしい身なので。自分のことは好きじゃないけど、そんな惨めな強がりでしかいられないところは嫌いじゃないとさえ思っていて、これからも寸分違わずそう思っていくのだ。と信じていた。

誤算は趣味の悪い男を好きになってしまったことだった。

完璧に化粧を仕上げた姿より、すっぴんより、崩れかけたところがいちばん好きだと言ってくれたその日から、わたしはかわいいを手段じゃなくて目的にした。誰かの為にかわいくなりたいと強く思った。頬紅だけは差さないで欲しいと言うから全部ドレッサーの奥にしまいこんで、クローゼットの中身を整理した。隣を歩いていて最低限でも恥をかかせないように体重も落とした。まあ好き勝手やる癖は抜けないけれど、あなたがなんだかいつでも脳のすみっこにいる。仕事で酷く消耗した日もあまつさえ悪口を言われた日も、あなたからのかわいいの言葉を妄想すればもう少しだけと頑張れた。現実世界でわたしの頬をまろく包んで、かわいいねと破顔したのを見た瞬間なんか、今ここで死んでしまいたいとさえ思った。

最近忙しくて会えてないね。その間にウルフカットになったよ。さすがに偶然だけど出会った頃の君と同じ髪型。今度の結婚式に着ていくワンピース、色も型もすごく綺麗でかっこいいから見せたいな。きっと気に入ると思う。あとね、わたし実はお化粧薄くなったんだ。かわいいってたくさん言ってくれたから、少しだけ薄くしてみてもいいかなって…ありがとう。

そうして終ぞ、わたしはたったひとつだけ欲しかったその言葉を失った。

今まで選ばれていたことの方がおかしいのだとは分かっている。吹けば飛ぶような関係だった。それを保てていたのはひとえにあなたの努力だったのだと思う。あなたがいなくても生きていけますよ、違う、元に戻るだけだ。いなくても大丈夫だよきっと。けれどいて欲しかったし、その為なら何も惜しまないでいられた。けど惜しむとか惜しまないとかそういう次元はとうに越してしまっていたのだろうか。死ぬ程妬ましい、うそつき。いやこれも違う。人生から切り捨てられたのが悲しくて、死にそうなあなたを見ていたのもまたあの日のわたしであったのに。心中しようとしてた我々って気の迷いだったかしら。違うなあ。途轍もなく好きだった。たぶん、これが正解だ。

もうウケちゃうくらい感情がぐちゃぐちゃだった。その最中。食べ過ぎたご飯を吐いて、飲み過ぎた酒を吐いて、トイレに蹲ったまま涙がぽろりと零れた。何者にとっても自分は途中経過の踏み台でしかないことを知ったから。やっぱりわたしはわたしのことが嫌いで、わたし以外を好きでいることでしか生きていけない。そんなだから自分の世界ですら主人公でいられなかった。

緞帳の奥、カーテンコールにすら挟まれない人生。舞台袖で煌びやかな瞬きを眺めている。いつか手を伸ばして掴めたらいい。そしてそれが掌の中でぐちゃりと潰れて死んでしまえばいい。