決意表明

 

 

ここ半年で2回も休職を食らった。1度目はのっぴきならない事情で職場がなくなって、2度目はのっぴきならない事情でドクターストップがかかったからだった。これは主観マシマシ被害妄想チョモランマ意訳だけれど、医者に「モツやばいですよ」って言われたことある?モツやばい自覚は薄々あったけど直接言葉にされるとなると訳が違う。あとシンプルに自分が思ってたモツと違うモツがやばかった。

衛生観念が終わってる焼肉屋みたいな医者の言うことをしっかり守った1ヶ月。先日検診に行ったら「モツがとっても綺麗ですね」とのお墨付きをいただき、満を持して復職と相成った。どうでもいいけど人生においてあまり綺麗だと言われたことがないので、このことは未だにちょっと自慢している。

 

結論から言うと全然駄目だった。もうメンタルからパフォーマンスから、隅々まで余すとこなく。

 

まず出勤が嫌すぎて泣いた。本当に行きたくなかった。元々勤怠がちゃんとしてることには定評がある人間なのだけど、こんなに毎日飛ぼうかなって思ったのは初めてかもしれない。覚えてないだけ?人生の記憶ところどころ吹っ飛んでるからわかんない。そんで着いたら着いたで嫌だった。早退したいしか考えられないから何度か言おうと思って、でも言う方がしんどいからいつもやめる。自分が今辛い状態にありますと伝えることって辛いのを一時的に押し込めるよりパワーを要するのは何故なのか。業務中は憂鬱さがまだマシだけど(わたしはお花とキットカットデイトレードで生計を立てています)、嫌なことをさせられているんじゃないかとの思い込みが前提にあるからやりきったと自信を持てるだけのパフォーマンスができない。本当はその仕事を選んだという自覚がしっかりあるし嫌だとかはないはずなのに(実際お花とキットカットデイトレーダーは非常に素晴らしい仕事です)。そして休憩に入って、なんだか死刑執行を待つ囚人みたいな変なこわばりを感じて、またお仕事をして、帰る。でも帰り道も今日もいちにちお疲れ様♪みたいな感情じゃない。あの時こうすればとか考えたくもないのに浮かんできて出来もしないのに後悔するし明日以降もこんな日々が続くんだと思って辟易する。暮れきった公園で薄着のままサッカーしてる子供たちを眺めては、何の感情かわからないままに泣いていたりもする。

毎秒どうしようもないから冷えきって感覚が麻痺してきた指先を見つめる。ペアリングを外した薬指がどうにも虚しくて、たったひとつ縋れる事実がそれしかないのにここにはないから、何故だか無性に煮干しを貪りたくなった。帰り道スーパーに寄っていちばんでかい煮干しの袋を買った。

煮干しをたくさん食べた後のゲロは灰色になる。これは豆知識。たぶん赤ワインを飲んだ後のゲロが血みたいになる理論と一緒なんだと思う。でもこれって摂取後どれだけ時間の経過があるかにもよるよねきっと。だから全部時間をかけていくしかないんだと思う。人生、報われない努力ばっか重ねてきたんだからそれが1個くらい増えても全然いいよね。

 


ここまで書いて思い出したんだけど、わたしサイゼリヤのロゼ飲んで吐いてすわ喀血か?みたいになったことあったわ。当時は血痰多かったから例え喀血だったとてあんまり気にしてなかったけれど。最近血痰って出てないなあ。あれって冬の季語だから、今年は冬、まだかもね。