緑の黒髪

 

ラブホのライターばっかり使っている。家にあるライターの7割はラブホから持ち帰ってきたものなんじゃないだろうか。しかも別にその場しのぎという訳でなく、しっかりガス欠するまで使ってしまう。そうしてライターが部屋の隅に積み重なっていく。ホテルの電話番号の印刷が薄れないままに。

ラブホからライターを持ち帰るという行為にも最初はしっかり信念があった。煙草を吸い始めてすこしたった頃に、初恋のひととラブホに行ったというブログを読んだのが始まりであったと思う。その人はライターを大切に持ち帰って、その感情を「甲子園の砂を持ち帰るような」と形容していた。なるほどねと思った。わたしは甲子園に行ったことがない。というかそもそもバスケ部だったので、似たようなことをするには体育館のフローリングをぶち抜かなきゃいけなくなる。幸いにもわたしは器物損壊罪に問われたことはないので比喩の先の本当は分からないけど、たぶん、そう。高校球児の前で性の話とかしちゃってなんかごめんね。

4年間片思いをしていた。確実に一目惚れだった。好きになった日付まで覚えている。まだ健康増進法とかそういうのがない時で、好きな人は自分より歳上で、煙草を吸う人だった。はじめて会った日、ふたりでファミレスの喫煙席に入って彼がテーブルの上にマルメラの箱を置いていたことを覚えている。わたしはまだ高校生だったからお父さんの吸っていたネクスト以外に触れたことがなくって、その光景がやけに新鮮に映った。わたしの脳裏にはあの緑が今でも目に焼きついている。何年か経って初めて口にした煙草はアメスピだった。バイト先の飲み会で酔っ払った夜。煙草なんか何でもないじゃん!と思ったその後コンビニで買ったのはやっぱりマルメラで、別に4mgでも良いのにねとひとりウケてた。

わたしの好きだったひとはめちゃくちゃいい男だった。全部綺麗だった。詳細を語るのは普通にキモすぎるのでやめるけど、黒と青が一等似合うひとだった。惚れ惚れするくらい、たぶん本人が嫌っているところですら、わたしはあのひとに関する褒め言葉として綺麗以外の形容を知らない。それくらい。性格はまあちょっとどうなの?と当時の友人や今の自分は言うけれど、それもまた好きで仕方なかった。

そして彼と一緒にいる時、最後までライターを持ち帰ることはできなかった。

もしかしたら忘れただけで持ち帰ってるのかもしれない。でも手元にはない。どこかで忘れたりなくしちゃったりしたんだろう。それまでと言われたらそうなんだけど、わたしが俗物であるように彼もきっと俗物だしそうだと知ってるんだけど。手元にライターがないから何とも言えない。

4年経った自分には好きな子がいる。確実に幸せをくれた子がいる。今わたしの世界でいちばん好きだ。艶々した睫毛を寄せて笑う顔がとびきりかわいい男の子。いじらしくて不器用でこどもっぽい。彼もまた喫煙者なので、コートのポケットからちょっと引く量のライターが出てくる。その中にはもちろんラブホのライターだって混ざってる。こんなんなんぼあったっていいですからね。そうやって集められたのが、きっと思い出とは別ものに、実用的な意味で。わたしだってそう。便利だからもらっとこみたいな感じであるやつを持ち帰ってくる。だっていくらあったって足りないもんね、ただのモノだから。

「めちゃくちゃ煙草吸うね」って笑う君に凭れてまた火をつける。下戸じゃない君の横。君よりめちゃくちゃ吸うし、記憶の中の彼よりもずっと吸うよ。本当は全部覚えてる、ライターなんてなくても。形がなくても。

人生って全部エゴだし思い出でたまにオナニーするくらいが健全よねとひとりごちながら、今もマルメラを吸っている。

 

決意表明

 

 

ここ半年で2回も休職を食らった。1度目はのっぴきならない事情で職場がなくなって、2度目はのっぴきならない事情でドクターストップがかかったからだった。これは主観マシマシ被害妄想チョモランマ意訳だけれど、医者に「モツやばいですよ」って言われたことある?モツやばい自覚は薄々あったけど直接言葉にされるとなると訳が違う。あとシンプルに自分が思ってたモツと違うモツがやばかった。

衛生観念が終わってる焼肉屋みたいな医者の言うことをしっかり守った1ヶ月。先日検診に行ったら「モツがとっても綺麗ですね」とのお墨付きをいただき、満を持して復職と相成った。どうでもいいけど人生においてあまり綺麗だと言われたことがないので、このことは未だにちょっと自慢している。

 

結論から言うと全然駄目だった。もうメンタルからパフォーマンスから、隅々まで余すとこなく。

 

まず出勤が嫌すぎて泣いた。本当に行きたくなかった。元々勤怠がちゃんとしてることには定評がある人間なのだけど、こんなに毎日飛ぼうかなって思ったのは初めてかもしれない。覚えてないだけ?人生の記憶ところどころ吹っ飛んでるからわかんない。そんで着いたら着いたで嫌だった。早退したいしか考えられないから何度か言おうと思って、でも言う方がしんどいからいつもやめる。自分が今辛い状態にありますと伝えることって辛いのを一時的に押し込めるよりパワーを要するのは何故なのか。業務中は憂鬱さがまだマシだけど(わたしはお花とキットカットデイトレードで生計を立てています)、嫌なことをさせられているんじゃないかとの思い込みが前提にあるからやりきったと自信を持てるだけのパフォーマンスができない。本当はその仕事を選んだという自覚がしっかりあるし嫌だとかはないはずなのに(実際お花とキットカットデイトレーダーは非常に素晴らしい仕事です)。そして休憩に入って、なんだか死刑執行を待つ囚人みたいな変なこわばりを感じて、またお仕事をして、帰る。でも帰り道も今日もいちにちお疲れ様♪みたいな感情じゃない。あの時こうすればとか考えたくもないのに浮かんできて出来もしないのに後悔するし明日以降もこんな日々が続くんだと思って辟易する。暮れきった公園で薄着のままサッカーしてる子供たちを眺めては、何の感情かわからないままに泣いていたりもする。

毎秒どうしようもないから冷えきって感覚が麻痺してきた指先を見つめる。ペアリングを外した薬指がどうにも虚しくて、たったひとつ縋れる事実がそれしかないのにここにはないから、何故だか無性に煮干しを貪りたくなった。帰り道スーパーに寄っていちばんでかい煮干しの袋を買った。

煮干しをたくさん食べた後のゲロは灰色になる。これは豆知識。たぶん赤ワインを飲んだ後のゲロが血みたいになる理論と一緒なんだと思う。でもこれって摂取後どれだけ時間の経過があるかにもよるよねきっと。だから全部時間をかけていくしかないんだと思う。人生、報われない努力ばっか重ねてきたんだからそれが1個くらい増えても全然いいよね。

 


ここまで書いて思い出したんだけど、わたしサイゼリヤのロゼ飲んで吐いてすわ喀血か?みたいになったことあったわ。当時は血痰多かったから例え喀血だったとてあんまり気にしてなかったけれど。最近血痰って出てないなあ。あれって冬の季語だから、今年は冬、まだかもね。

 

 

知らない夜の住処

 

 

酒を飲む夜は肴代わりに煙草をよく吸う。逆に酒を飲まない夜は眠れないので煙草をよく吸う。毎日ひと箱、よく分からないままにたばこ税を払っている。

 

ベランダに身体を投げ出して、吸い終わって部屋に戻って。そのあとすぐの息は大体白い。それが肺に残った煙なのか寒さなのかは知らない。エアコンのリモコンをなくしてからというもの、わたしの部屋は外と同レベルで冷えている。そういえばエアコンのリモコンってちょうどキモめの韻だよね。おんなじコンなのに違うワードの略称なの未だに納得いってないんだよな。

わたしが白い息を吐く度、部屋の壁紙は黄色くなってく。血痰が出るようになったのと部屋中から煙草の匂いがするようになったのと、どっちが先だったっけ。身体に悪くて住宅にも悪いのなんでよ。しかも賃貸なのにさ。あとわたし本当は煙草吸っちゃダメな薬飲んでる。それ飲んで喫煙すると血栓症になるんだって。へ〜。その病気って死ぬとき楽めなやつ?そういうとこしか興味ないので、わたしはまだ煙草をやめない。

 

そういえばもうひとつダメな薬飲んでる。喫煙じゃなくて飲酒だけど。こないだ薬の服用量を間違えた上に深酒してしまったのでそれはもうやばいことになった。歩けなくなってコンビニの壁に激突していたらしい。らしい、というのはわたし自身記憶がないから。その日一緒に飲んでいた彼氏が後に「すごい勢いでぶつかってたけど痛くない?」と訊いてくれたことで知った。ちなみに石頭だからか全然痛くなかった。それより尾てい骨が異常に痛い。今も痛い。

わたしの名誉の為に言い訳させてもらうのならば、別に毎回こんな酔い方をしているわけではない。元々シンプルに飲みの席が楽しくて、酔っ払うのが気持ちよくて、それだけだった。どんなに酷い夜でも酩酊でしか埋められない隙間なんてなかったはずなのだ。

それが今ではアルコール依存症の彼氏に酒やめろと言われるまでになっている。いや本当に、こんな酔い方は普段しないんだって。マジマジ。友人と飲みいって怒られたことないし。なんなら介抱する側だし。そう思ったけどたぶん、というか絶対、信憑性に欠け過ぎてるので口を噤んだ。でも薬より即効性があって好きなので、わたしはお酒をやめない。

 

煙草もお酒も本当はやめていいんだよね。わたしには趣味が一切ないから。やめたらなんもないなと思ってる。でもそれってやめたからなんもないんじゃなくて、元からなんもないのが問題なんだよな。趣味どころか特技も面白みもないじゃんね。ニコチンとアルコールにそんなベクトルのバフはないよ。元々化け物みたいな自分を、更に化け物じみた存在にしていくだけ。ね。ごめん。何に謝ってるかも最早わかんないけどすべてが遠くなってくのが寂しい。けど人間じゃないから君に伝わるコミニュケーションがとれなくて悪循環してく。自分にとってこの世でいちばん最悪なことが起きてる、怖い、助けて欲しい。全部結局ひとりよがりで嫌だな。

 

ところで化け物可の紙巻吸える居酒屋知りませんか?

 

 

惨めな賛美

 

自分が思う正しさを自身だけはどうにか持っていたい。それが目的から手段に挿げ替わっていたのは果たしていつだったのだろうか。気付いた時にはとうにそうであった、そうして数年を重ねていたのだろうという感覚だけがあった。あまりにも性格が悪い。きっとわたしはわたしのいちばんの美点を失った。

幸いにも周囲に恵まれ過ぎているお陰で、身勝手なモーションに何かしらの返事を得ている。決してコミニュケーションとして提示した訳ではなくとも、何が正解とはなくとも、返ってくるということは僥倖であったと、幾度となく反芻して思う。そう、コミニュケーションではなかったのだ。本質的には社会の末端どころかカーストではダリットに満たない。これは支配階級への批判ではなく、生を受けるべきではなかったというのは(その是非は分からないとして)確実に存在するのだ。欠陥を持たない人生を歩めど、尚!しかし断片的に従属を続けた身、そうして今もコミュニティに置かれる身にとってあからさまに見えるものを一切感知しないでくれと望むのは、傲慢と稚拙以外の何物でもない。けれども体裁だけ整えた表層のみを自分としたいから、そのコミニュケーション上の暴力的我儘が通じるのであれば、幸福な誤認で以て全て幕引きできる気がするのだ。

他者への記号的な伝達としての言葉を持たないことはわたしにとってプラスとマイナスのどちらであったのだろうか。もしわたしだけの思いに正しい記号を用いたとして相手は何を抱くのだろうか。相手はその思いをどういうフローチャートにおいて言葉にするのだろうか。その言葉はわたしが排出した記号とどう噛み合うのだろうか。噛み合う?多元的要素は噛み合うことだけを目的とされるべきなのか?わたしはわたしの都合に相手を振り回すべく一切の全てを無に帰したいのではないか?

夢想する。思考が言葉としてでなく、形と色として他人の心へとすっかり投影されてしまえばいい。尖った透ける青の、柔く甘ゆくひかる桃色の、グラデーション状に揺蕩う紫の、そうしてぐらつく深夜のコンクリートの粘つい。それはどうしたって自己本位的でしかないが悪意でデコレーションしてしか生きていけないなりには、妄想上の誠意だと、言わせてくれ。

一等汚かった人間だと、思っていてくれ。

 

葬式の予行演習

 

執着を手放せないままでいる。縋ることが意味を成さないと知りながら、大事に抱えていかないと破綻してしまいそうだった。実のところもうとっくに破綻しているのかしら。良くなったと思ったメンタルは別にそうでもなかったらしく、ぐちゃぐちゃになった情緒のなかで自分は健常者だとして生きている。わたしはずっと普通だ。頭がおかしいと罵られたことすらも半ばトラウマとして、やっぱりにこにこと過ごしている。

わたしは大切にされてなかったのかもしれないとやっと認められた。わたしは本当に普通なんだ。楽しかったことも悲しかったこともたくさん堆積して、都合よく扱われることばかりで、なんだか最近はそれが幸せな気がする。何にせよ存在しない事象に騒ぎ立てているだけなら正当性を許される為に端からわたしにとって不都合であって欲しい。自傷だとか全部どうでもいい。呼吸とヒステリックが相互ならば、最初からなんでもいい。

願わくば自分が一過性のかわゆい傷跡になりたい。鉤爪が輝くその瞬間を見ていて欲しい。最後だけはなんでもよくなくて、痛くて鮮烈で、マキロンを塗っちゃえば滲みるけど有象無象の陰で忘れ去られるような、気付けば治っていて原因も思い出せないような、そんな在り方がいい。君は、君らは。受動的三分間じゃ足りないし、引き摺ってしまうと甘言を弄するけど。弄される側のわたしにだってまあ問題は大いにあるが。そうじゃないんだよって身を以て教えてあげたいな。

 

わたしは普通だった。今までも、これからも。

 

ベランダの縁に手を掛けて、身体を持ち上げて、そこから全てを投げれなかったのは怠惰だったんだろうか。肉体的か、精神的か。どうにもならないのは常に自分のことだけだ。そんな幻想で睫毛を濡らして、便器に顔を突っ込んで、ねえ何が悪かったんだろうね。全部自分のせいだとは解っているけど。断片的にでも救われたいと思うことすら悪いことだったのかな。

今までの話は全部嘘だからさ、普通の女の子でいられて良かった。いつか死んだ日も忘れた顔して弔ってね。全ての記憶を。

 

外付けの海馬

 

途中で書くのをやめてしまったものを載せます。そのうち下げたり上げたりシャトルランするなどしてエントリーにしたいです。当たり前に重複はあるとします。

 

3/3

今日はもしかしたら消化できるかもと思って、フリースの袖をちょっとだけ食べた。わたしの嘘みたいに終わってる臓物を巡らされる繊維のことを考えたらすこしだけ気の毒である。煙草を吸う時くらいしか見上げない空は、夜明けのピンク色だった。灰皿があるベランダに面した車道は住宅街の癖してろくすっぽ人が通らない、吸い込まれてしまえればいいのにと思うコンクリートはいつだって、さあ。

わたしの世界は限定的な色で出来ている。気付いた時には既にであった。インプットが出来ていても意図的にアウトプットしないのであればそれはないのと同じでしょ。おとなが嘯く結果論はしぶとく根付いている訳で、あんなもの偏向だよな。どれだけその対からやわらかくあくまでも甘ったるく許容しようとしたって、対であるんだから、思想は思想としてのみしか意味を成さない。

最近はマジの他人が傷付くことってどうでもいいなと改めて思った。わたしはマジの他人に傷付けられてばかりの人生で、まあその分お返ししてやろうとは思わないしマジの他人にとっても良き他人でいたいとは思うけど。この狭いキャパシティを割くなら好きなひとたちだけでいたい。こんな感情が何の腹の足しになどならなくとも、わたしはわたし自身のエゴイズムとしてそうでありたい。

だからさ、入ってこないで欲しいんだ。

精神の安定はパイプの数である。人間は社会のなかで育まれているから、自分が所属するコミュニティの数だけ自分があってパイプがある。自分がカテゴライズされることは即ち他者をカテゴライズすることであり、名前をつけられることは承認である。

 

3/4

わたしが悲しいだとか、何かをおぼえることをわたしだけの為にさせてよ。

仲が良いと思い込んでいる人間に何かを笑われて、わたしはそれに傷付く程にかわゆくは生きてないからさ、笑うし心の底からそうであるのだけども。違うの、それが嫌だとは言ってないんだよな。君の笑顔が好きでこうやって笑っている訳だし。

 

3/6

仕事が終わった帰り道で自分の嫌いなところを数えていた。今はベランダでお酒を飲みながら今日の反省会をしている。アルコールで蕩けた脳がヒステリックに叫ぶだけなので、まあ建設性なぞがある訳ない。いっぱいの声が責めてくる、他人も自分もごったになって、美徳を知らない癖に罵倒がお上手で。違うんだよな。何も知らないから罵倒だけ上手くなっちゃったのか。可哀想に。

こう在れたらという姿と、こう在らないと自分を嫌いになってしまうという姿があまりにも乖離している。

頭がおかしいと真っ向から言われたことがある。わたしの愚鈍な頭では瞬時に言葉の裏を舐れないので多分あの時は微笑んで見せたのかもしれない。今思えばあれは純粋な恐怖からであったんだろう。申し訳ないことをしたな、どんなわたしがちょうど君に沿うのかを先に教えてくれればもっと良かったんだけど。

手を洗いながら鏡を覗き込む。不自然に艶が消えた睫毛にラメが輝いている時、唇の端から蛍光ピンクが滲んでいる時、瞳の縁の産毛がバーガンディを纏っている時。わたしはどうしようもなく情けない気持ちになる。何も意味が無いことをするのはきっと十八番だ。

一般社会の枠組みのなかですこやかに眠る夢想をして、やっぱりこれも意味が無いな。病的妄想の紡ぐベッドはいちばんやわらかくていつか殺してしまいたい。

 

3/17

今日はただ家に帰ることがすごく辛かった。何もせずに電車に揺られて、決まった駅を降りれば足を動かすだけの作業なのに。家に帰ることが嫌だった訳ではない、わたしの帰る場所はここ以外にない。同時にここはわたしが帰る場所ではないとも思うけれど。

単純作業の裏側でいつもヒステリーが喚いている。反省と後悔はフィードバックがあって初めて意味を成すものだと薄々知っているので、というかヒステリックはいつだってロジカルの逆側にいるからそもそもとして全部意味がない。だからわたしは被害妄想をわたしにとっての真実としてずっと咀嚼している。嚥下することはない、たぶんチューイングみたいなもの。

今日も人間はみんな機嫌が悪くて空気がどんよりと淀んでいた。他者の行動を機嫌でどうこうしようとするムーブは全部間違っていると思うんだけど、複合的同調圧力の前に間違っているという指摘ですらどうこうされてしまいそうだった。いつもそう。そうして前述の加味を問わずともわたしの立ち回りは全部間違っていた。言動も、意識の向ける先も、瞳の色も、正解を知らないけど間違いということだけは確かだった。これもいつもそう。

わたしはいつも最悪だけど、最悪じゃなくなりたい。だから何かを他者に投影することを許されたくて、してみる。でも投影した何かに対する感情が別次元でぐちゃりと潰れる時がある。自己嫌悪の延長線上にいさせてしまってごめん。その潰れた何かは確かに好きであるのに、勝手に線を引いたせいで捨ててしまえるんじゃないかなと思う。捨てたら泣く癖にね。泣いたこともある癖に、摘み上げてゴミ箱の上を彷徨う作業をやめられない。

いつか完全にその作業を完遂できたらわたしは何者になるのだろう。何者かになりたかった、ずっと名前が欲しかった。それと同時にわたしは忘却が欲しくてたまらないのだ。

 

5/10

言われたことはやるよな、もうなんか別にどうでもいいしさ。ただ言われないとやらないので、言われてもやってんのかな?わかんなくなってきた。全部泣きながらでもどうでもいいと思われてるんだから、わたしもどうでもいいなと思って、自分のポリシーだけを守っている。まあそのちっぽけなポリシーを守るためにもっと大事なものをガリガリと削っている訳であるけど。

ご飯をお腹いっぱい食べたあと絶対吐きたくなるように、ふとした瞬間の思い出にはいつも悪口がつきものだ。悪口を言われるべき存在なので。そういえば人間って毎日は泣かないらしいですね。最近知った。ライフハックかな?別にいつもこの調子なので人生は良くなりも悪くなりもしていない。そもそもゴミ箱に緩いカーブを描いて落ちて行くだけの生ならば、そういう指標すらないんだから。ただたまにわたしなんか持て余す幸福があって、そのあとは大抵悪い気分になる。まあほら、悪口、どうせ言われてるしさ。どうしようもなく落ち込むのは人間あるあるとしてもなんか幅がデカすぎる気がする。ひとに迷惑をかけたくないのにそうであることでしか自己表現ができないんじゃないかとすら思う。あ、キモ!自傷自傷としてのみであれよ。自己弁護をさせていただくのであれば、ぐちゃぐちゃになったまま指先を離れたそれが思ったよりわるいこだったんだ。歪だ。そんな形をしたかった訳じゃなくて、そんな顔をさせたかった訳じゃない。書いててくだらなすぎて笑けてきたな。縄を持ち出す日々もそのうち来る。だからもう知らん。

ままならない、全部。

帰る場所はここではない。ホームがないまま生きている。わたしはいつだって全部投げ出せるようにしていたい。だって今更骨を埋める場所ができちゃったって困るし、埋めたい場所じゃなかったらなんの意味も無くない?許容ってそんな都合のいいぬるま湯じゃないでしょ。

骨、カップラーメンとかになんないかな。宝石になんかなりたくないので。そういう最新技術が出来たら教えてください。

 

5/11

羨望だけが苦しい。ずっとわたしは何者にもなれないでいて、羨んだところでどうにもならないのに。ゴミ箱の底から見上げる風景はいつだって煌びやかな気がした。少なくともわたしにとっては喉から手が出る程に、本当に羨ましかった。

人間誰しも呼吸がうまくいかないように、毎日を泣いて過ごしている。理由なんかとうに忘れてしまった。ままならないことで泣いて、全てを吐き戻して、帰る日常もなければ場所もないのに気持ち悪い顔してニタニタと笑っている。再現度の低い真似事だけど、みんなこういう顔をして笑うからそういうものだと思っている。ここまで気持ち悪くはないにせよ、陰口を連ねた口をニイッと引き上げて、わたしが何も知らないと勘違いしているんだな。全部見えてるよ。全部というより嫌悪。無理させてごめんね。

ぐちゃぐちゃになったまま指先を離れたそれが思ったよりわるいこだったんだ。歪だ。そんな形をしたかった訳じゃなくて、そんな顔をさせたかった訳じゃない。

 

5/12

口にしようとした言葉を舌先で遊ばせて、なかったことにする。顔色を伺うなんて可愛らしさは生来持ち合わせていないので、これはただのわたしのためのことだった。

たまに君の人生の少しだけ先を考える。わたしのエゴのなかでだけだから許されたい。君の苦しみの上に描くそれはテンプレートを歪に模していて、わたしの目に映る姿と同じくして綺麗だった。輝かしかったようにも思えた。少しだけリンクした、わたしのそれはくすみとも挑みともとれない色をしていた。不確定なのはただ単に形容するまでの意味を持ち得なかっただけである。

君がキモいという事柄に対してキモいと思うことができなかった。言わなかったけれど、それがわたしの大切にしているなにかの残滓であったりもした。全てがぴったり同じになりたい訳ではない。でもぴったりでいたいところがいられない。

 

5/16

17歳も22歳も結局変わらないままであった。違うとすればそれは時間という経過のみであって、数字だけの蓄積だ。しかしこの劣化ともとれる5年を、わたしは今やっと、歳月そのものとして飲み込めそうになっている。

この5年、何も変わらなかった。精神は波を描きつつも以前と遜色のない状態には戻らない。薬はいくら飲んでも効かない。自傷は頻度が減りこそすれどやめられない。即物的な幸せはセックスと食事でしか得られない。社会生活にはいつまで経っても戻れない。

でも、友人も変わらなかった、ずっといてくれたのだと思いたい。

 

日付不明

死はわたしにとってだけの救済ではなく、周囲の人間が救われるための

 

以上です。

 

わたしは摂食障害にならない

 

満たされないわたしが擬似的に求めたのは食事だった。寂しいの隙間に意味の無い食物を詰め込んで、そうしてなんとなく形を保っているつもりであった。他者のそれと比較して強いと思しき欲求を同じ形だと思いこませる為に、何も持たない身にとっては咀嚼と嚥下しか方法がなかったのだ。

太っている自分が嫌になる。ぶくぶくと、ぶよぶよと、汚い形をしていて。鏡の前に立つ度に責められている気持ちになる。わたしはわたし自身の為のたったひとつの存在であって、同時に他者の評価からでしかわたしとして居られないのを知っていた。ずっと苦しかった。何においても選別される側であるのなら入れ物が綺麗であるに越したことはない。どうせ中身が汚物なのだから、ラッピングくらいは丁寧にしておかないと、自身を包括する全てのアレソレの色々な条件にとってさ。ずっとこれからも苦しい。

ほんの一瞬の充足と脳裏に焼きつく罪悪感。便器を面前にして咳き込む瞬間は惨めだ。昼夜を問わず、わたしはジャッジされている、だから指先を泳がす。喉の奥の方へ。全てが意味を成さないのなら減っていく数字くらいは信じさせて欲しかった。気持ちよくなんかなかったよ。自己評価が正当性を失ったその日から。

いつかお腹いっぱいに何も考えずご飯を食べたい。食事が食事としての悦だけを持っているなら、わたしもわたしとしてだけの何かを抱えていけるはずであるんだ。

その為にも今は食べない方がいいと思うな。個人的にはね。